チベットを知ろう3

3.2008年3月のラサでの騒乱
チベットのラサでは2008年3月、チベットの自由を求めるデモが起きました。
1959年3月10日にチベット動乱がおき、チベットの最高地位責任者であったダライ・ラマはインドに亡命を余儀なくされました。そのため、3月10日はチベット人にとって忘れられない日なのです。
この平和的な抗議を中国当局は武力で容赦なく鎮圧し、多くの死傷者、逮捕者がでました。逮捕された者は、そのまま拷問を受ける恐れがあり、また通常、政治犯として処罰されます。中国は世界一の死刑大国で、政治犯の死刑が非常に多い国です。現在、少なくとも2000人以上のチベット人が拘束され、命の危険にされされています。

中国は武力鎮圧の際、ラサから報道機関や観光客を締め出し、徹底した情報統制を行いました。そして「軍隊の関与はない。発砲は行っていない。」「チベット人が暴動を起こしたからこれを鎮圧した。」と嘘の発表を行い、中国だけでなく世界を欺こうとしました。中国はチベット人の過激さを強調するため、チベット人が漢民族の店を破壊する映像だけを世界に流し、日本のマスメディアもその映像を流し続けました。

しかし、中国当局の発表が嘘であったことは様々な証拠から明らかになりました。

*写真からは中国軍の装甲車が出動していたことが明らかになり、日本人旅行者を含む多くのチベット滞在者は激しい銃声が響き渡っていたことを証言しました。

*2008年3月で生じたチベット人犠牲者の写真(ご遺体の写真になりますので、ご覧になるかどうかはご自身でよく判断してください。)   http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080318c.html

*チベット亡命政府によると2008年3月10日より4月25日までの間に チベット (ウツァン、カム、アムドの伝統的にチベットとされていた地域〜チベット自治区より広い) での犠牲者数は203人、負傷者数は約1000人、逮捕者数は5715人。        http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/50994041.html

*また中国は警察官をチベット人に変装させ、意図的にラサでの暴動を誘発させ、その写真をBBCやラジオ・フリー・アジアに送付していた疑いがもたれている。同様のやり方は、1989年3月チベット自治区の党委員会書記であった胡 錦濤が、自由や独立を訴えるチベット人を武力で弾圧し、無差別殺戮を命じた時のやり方と酷似している。1989年にはジョカン寺の前で蜂起する群衆を装甲車がひき殺したが、2008年にも装甲車が群衆に突っ込んだという報告がある。
  http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080322_lhasa.html

*各家庭から1人連行、密告奨励も=チベット人への締め付け強化
  http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080326_tibet01.html




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